イエス・キリストは唯一の神ご自身です。
クリスチャンもそのことを知りません。
コメント一覧
玉春日良二2021-10-16 01:49:25

<多神教の起源>

スウェーデンボルグ・天界の秘義2724

「そこに永遠の神の御名を呼んだ」。これはそこから発した礼拝を意味して
いることは、『神の御名を呼ぶこと』の意義が礼拝であることから明白であ
る(440番参照)。古代教会に属した者たちは名により名を理解しないで、
あらゆる性質を理解したのであり(144、145、440、768、17
54、1896、2009番参照)、かくて『神の名』により、神が拝され
る手段となるすべてのものの一つの総合体を理解したのであり、従って愛と
信仰のあらゆるものを理解したのである。しかし礼拝の内なるものが死滅し
て、外なるもののみしか残らなくなると、そのときかれらは神の名により名
以外には何ごとも理解しはじめなくなり、それが、かれらが礼拝する源泉で
ある愛と信仰を何らかえりみなくなって、名前そのものを拝するほどにもな
ったのである。そうした理由から諸国民はその神の名によりかれら自身を区
別し始め、ユダヤ人とイスラエル人とは、エホバを拝し、礼拝の本質的なも
のをその名を口に出して、その名を唱えることにおいたため、彼ら自身を他の
国民よりもすぐれたものとしたのであるが、名のみの礼拝は真に何ら礼拝で
はないのであり、それはまた人間の最悪な者の中にすらも見出されることが
できるのであり、こうした者らはそのことによりさらに冒瀆罪を犯している
のである。

斎藤哲也2021-10-16 01:52:28

(続き)[2]しかし『神の名』により礼拝のあらゆるものが、すなわち神が
拝せられる源泉である愛と信仰のあらゆるものが意味されているため、それ
で主の祈りにおける『あなたの御名が崇められますように』という言葉に意
味されていることが明白であり(マタイ6.9)、また、主が以下のように
言われたものにより意味されていることも明らかである―
あなたたちはわたしの名のために憎まれるであろう(マタイ10・22)。
(中略)その外旧約聖書の非常に多くの記事の中ではエホバの、また神の
『名』により名が意味されてはいないで、礼拝が存在する源泉である愛と
信仰のあらゆるものが意味されているのである。

高橋七実2021-10-16 01:55:31

(続き)[3]しかし愛と信仰もないのに、ただ名を拝しているにすぎない者は、
マタイ伝に以下のように語られている―
その日多くの者はわたしに言うでしょう。主よ、主よ、わたしたちはあなた
の御名により予言しませんでしたか、あなたの御名により、魔鬼を追い出し
ませんでしたか、あなたの御名の中に多くの力ある業を為しませんでしたか、
と。しかしわたしはかれらに明らかに言いましょう。わたしはあなたたちを
知らない。不法を働く者らよ、わたしから去りなさい、と(マタイ7・22.
23)。
前に言ったように教会の人間が内なるものでなくなって、外なるものとなり、
名の中にのみ礼拝をおきはじめると、そのときは、かれらはもはや一人の神
を承認しなくなって、多くの神々を承認したのである。なぜなら古代人には
エホバの名に何かを加えて、それによりエホバの何かの利益を、または属性
を心に思いおこすことが普通のことであったからである。
(中略)
このことから名にのみ礼拝をおいた者は多くの神々を承認するようになった
のであり、また異邦人の間には、とくにギリシャとローマには多くの神々が
承認されて、拝されたが、それに反し、古代教会は―その教会からその形容
語が流れ出たのであるが−一人の神以外には決していかなる神をも拝しなか
ったのであり、その一人の神が非常に多くの名の下に崇拝されたのである。
なぜなら『名』によりかれらは性質を理解したからである。

<輪廻転生はないことについて>

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々2./

「イスラエルは死なねばなりませんか。邪悪な木ですか」
「よみがえるために死ぬべきです」
「霊的な輪廻ですか」
「霊的な進化です。いかなるものにも輪廻はありません」
「輪廻を信じている人がいます」
「それは間違いです」

MEME(ケラケラ)2021-10-16 02:01:37

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/

なおかつ、この人たちは異教徒のように、異端者になりました。というのは、
輪廻説を信じる者や運命論を認める者まで現れたからです。




サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/

知的困難を解決するために、プラトンもエジプト人もインド人も、多少の違
いはあっても霊魂の転生を説いた。ヒンドゥー教徒が教えているように、八
百四十万回もの転生があるとすれば、問題は解消するどころかますます増え
ることになるだろう。(中略)
天に入れるほど完全で聖なる人間であるなら、大変な苦労をして得たものが
すべて灰と化し、天から追い出されるなどということが起こるものであろう
か?(中略)また、このような短い人生の苦労で善い性格や生き方を培った
のであれば、天の完全な環境と聖なる交わりの中に生きていて、完全になれ
ないものだろうか?この世の苦労と邪悪な力のなかにいるよりは、天界で完
成へと進んでゆくことの方がずっと容易であろう。それが可能でないという
のなら、もはやこれは救いでも天界でもなく、ただの欺きと地獄にすぎない
のである。

マイケル・ジョンソン2021-10-16 02:07:43

<霊がしゃべるために生まれ変わりと勘違いしてしまうことについて>

スウェーデンボルグ/霊界日記2860
『他の人物を表象する霊たちは自分がその表象している者と同一であると信
じるようになることについて・・・』
以下のことがいく度もわたしに示された、すなわち、わたしと共に話した霊
たちは自分がわたしが考えているその者であるとしか考えなかったのであり、
他の霊たちもまたそのようにしか考えなかったのである、例えば、わたしが
生命の中で知っている或る一人の者が、昨日と今日わたしと話した者に、そ
の者である一切のものにおいて、わたしの知っている限り、何一つそれ以上
に似ることはできないほどにも似ていたのである。

それ故霊たちと話す者たちは、霊たちが自分はあなたたちに知られている者
であり、自分は死んでいると話すときは欺かれないように注意しなくてはな
らない。


スウェーデンボルグ/霊界日記2861

なぜなら同じような能力をもった霊たちにはいくたの種類と種族の者がいて、
類似した者が人間の記憶の中へ呼び出されて、かれらに表象されるとき、か
れらは自分らがその者である、と考えるからである。そのさい記憶から、か
れらを表象している物の凡てが、また言葉、音声、動作、その他多くのもの
が作り出されるのである。

さらにかれらは、他の霊たちから思想、感情といったものを吹き込まれると
き、そのようにも信じるようになるのである、なぜならそのときかれらはそ
の他の霊たちの幻想の中におかれて、自分がその者である、と考えるからで
ある。1748年8月19日

山口あゆみ2021-10-16 02:10:46

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち?
主:
サタンの教義では輪廻を信じるように教える、だが輪廻はない。彼らは宗教
の外観を保っているが そのうちなる力:聖霊と聖体の秘跡 を受け入れな
い、我が子よ。サタンは光の天使をよそおい 多くの人を欺いている、そし
て反逆者をともなって 彼を認める人たちに大きな誉れを授け、気に入った
者には栄誉を与えて多くの者を支配させ、封土を与える。
しかしまことに言っておく、間もなく天が開かれ、私の火が襲いかかり 
彼らを焼き尽くそう、
私は(I am)、忠実で 真実な者、
私は(I am)、裁き主 全き者、
私は(I am)、神のみことば、
私は(I am)、王の王 主の主、
では約束をくり返そう:まことにもう直ぐ 私はあなた方を訪れる 

まつきりな2021-10-16 02:13:49

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち?・L?

 私(ヴァッスーラ)はどんな形にしろ輪廻転生を信じていません。それど
ころか私の著作は輪廻転生やニューエイジに反対です:サタンの教義では輪
廻を信じるように教える、だが輪廻はない。彼らは宗教の外観を保っている
が そのうちなる力―聖霊と聖体の秘跡を 受け入れない(99.4.19
前掲?).

サラ・ポールソン2021-10-16 02:16:52

<外観の法則>

スウェーデンボルグ/真の基督教135
神は怒り、復讐し、試み、罰し、地獄に投げ入れ、罪に定め、否、悪を為し
給うとさえ言われている場合のように、神は聖言では外観に従って語り給う
たことが知られていますが、事実は神は決して怒らず、決して復讐せず、決
して試みず、罰せず、地獄に投げ込まず、また罪に定め給いません。このよ
うな事は地獄が天界から隔たっているように神から隔たっており、否、無限
に遠く隔たっており、単に外観に従ってのみ用いられた言葉の形式でありま
す。償い、宥め、執成し、調停の語もまた他の意味の外観の表現であります。
何故ならこれは神への近接と神からその人間性を通して来る恩寵とを表現す
る言葉の形式であるからです。これらの言葉は理解されなかったために、人
間は神を三人の神に分割し、そしてこの三人の神の上に教会の教義の凡てを
基礎づけ、かくして聖言を虚偽化してしまいました。これがダニエル書にさ
らにマタイ伝24章に主によって予言された「荒らす憎むべきもの」であり
ます。

柴田勲2021-10-16 02:19:55

スウェーデンボルグ/真の基督教256
然し、これは例を用いて説明することが出来よう。聖言の多くの記事に怒り、
憤り、復讐が神に帰せられ、神は罰し、地獄に投じ、誘惑し、その他そのよ
うな事柄をなし給うと言われている。これを子供のような単純さを以って信
じて、神を恐れ、神に向かって罪を犯さないようにと心をくばる者は何人も
罪に定められない。しかしこれらの観念を確認して、神は怒り、憤り、復讐
を、またそのような悪しきものを感じ給うと信じ、怒り、憤り、復讐から人
間を罰し、地獄に投じ給うと信ずるならば、罪に定められるのである。何故
なら、彼は神は愛そのもの、慈悲そのもの、善良そのものである故に、怒り、
憤り、あるいは復讐することが出来ないという純粋な真理を破壊しているか
らである。聖言にこのようなものが神に帰せられているのは、それらは真理
の外観であるからである。

緒方かな子2021-10-16 02:22:58

スウェーデンボルグ/真の基督教260

聖言の文字的な意義はその内にある純粋な真理を危害から守るのである。何故
なら、読者はその霊的な意義に危害あるいは暴行を加えること無しに、己が
理解に応じて聖言を解釈し、説明し得るからである。文字の意義が異なった
人々によって異なった風に理解されることは何らの害を与えないが、神的真
理に相反している虚偽がもたらされるとき、害が生まれ、これは虚偽を確認
した者によってのみ行われる。かくして、聖言は暴行を受けるが、宗教的な
虚偽に取り憑かれてはいるものの、これを確認しない者たちからは何らの暴
行をも受けない。此処に、その文字的な意義は全き警備者となっている。こ
の警備者はアダムとその妻がエデンの園から追放された後、その入口に置か
れたケルビムによって意味されており、また我々は神エホバは「その人を追
い出し、エデンの園の東方にケルビムと、自らまわる焔の剣を置いて生命の
樹の道を守りたまう」ことを読むのである(創世記3・23,24)。

アドナン・ヤヌザイ2021-10-16 02:26:01

スウェーデンボルグ/天界の秘義2209[3]

合理的なものは、それが感覚的なものから賢明になって、その感覚的なもの
の迷妄に浸透しているさいには、こうしたものを考えるとき、それがそうし
たものでありうることを信じはしないのである。なぜならそれはそれが内な
る感覚かまたは外なる感覚かその何れかによって認めることのできるような
ものによらなくては、それ自身に対してはいかような観念[考え]も形作るこ
とができないからである。それならそれがさらに高い天的な霊的なものにつ
いて考えるときは、その場合はいかようなものになるにちがいないであろう
か。なぜなら思考が(その思考のために)依存していなくてはならないとこ
ろの感覚的なものから発した何かの外観が常に存在していなくてはならない
のであって、この外観が取り去られると、観念は消失してしまうからであり、
そのこともまた霊界に入って間もない霊たちからわたしに明白にされたので
ある。

つぶやきシロー2021-10-16 02:29:04

スウェーデンボルグ/天界の秘義4768

神的諸真理を否定して誤謬を確認することは聖言の文字の意義から理論によ
り提示されるいくたの外観により行われる。聖言の文字の意義から発した解
釈より誤謬を確認するものはことごとく外観である。

黙示録講解719
その中の大半のものは真理の外観となっており、それらのものが同時に霊的
な理解からすなわち明るくされた理解から認められない限り、それらは誤謬
となるのである。

三浦瑠麗2021-10-16 02:32:07

<悪がエホバに帰せられる理由>

スウェーデンボルグ/天界の秘義7632
エホバが「パロの心を頑にされた」と言われていることは、内意ではパロが
自分自身の心を頑にしたことを意味しているのである。
古代では単純な者たちのために、悪はすべてエホバに帰せられたが、これは
起こるようになったものがエホバ以外の源泉からいかようにして起こること
ができるかを単純な者は知ることはできず、その大半の者は悟ることもでき
なかったためであり、またエホバが悪魔の一味が悪を作り出すのを許される
ことをいかように理解しなくてはならないかを、またエホバは凡ゆる力を持
っておられるのに、なぜなそれを許されるかを悟ることもできなかったため
である。
単純な者はこれを悟ることはできず、理知的な者さえもまたこれを悟ること
ができなかったため、それで多くの者から信じられているように、悪でさえ
もエホバから発生したと言われたのである。これは聖言では普通のことであ
って、その文字の意義は単純な者の信仰に従っているのである。
2447,6071,6991,6997,7533

あしべ(栗田いっかん)2021-10-16 02:35:10

スウェーデンボルグ/天界の秘義245
神エホバはその面をそむけられる、怒り、罰し、試みられのみでなく、殺し、
呪われると聖言のここにもまた他の部分にも言われている理由は、主は宇宙
の凡てのものを、また個々のものを支配され、処理され、悪そのものをさえ、
刑罰、試練をさえ支配され、処理されていることを人間が信じるためであり、
また人間がこうした最も全般的な考えを受け入れて、後になっていかにして
主は刑罰と試練の悪を善に変えられることにより凡てのものを支配され、処
理されるかを学ぶためである。聖言を教え、学ぶに当っては、最も全般的な
真理が先ず来なくてはならないのであって、それで文字的な意義はそうした
ものに満ちているのである。

天界の秘義6914
エホバまたは主から命じられた非常に多くの事柄は内意ではそうしたことが
命じられたことを意味しないで、それらが許されたことを意味していること
を知られたい。

天界の秘義9849
人間が悪を行うとき、主から面をそむけると、そのときは主は人間の背後に
おられるため、恰も主はかれを見られはしないし、聞かれはしないし、知ら
れはしないし、また覚えられもしないかのように見えるものの、それでもそ
のことは人間から起こっているのであり、それで外観からそのように聖言に
言われているのである。

鷲尾修斗2021-10-16 02:38:13

天界の秘義4397

かれらが罰せられたときは、かれは怒られ、激怒されていると信じた。

天界の秘義6997

怒り・・・寛大、慈悲
聖言にそのように言われているのは、かれらが神を恐れることを知って、か
れら自身が行う悪により滅びないためであり、後になって神を愛するためで
ある。なぜなら愛の中に聖い恐れが愛に先行しなくてはならないからである。
なぜなら恐れが愛の中に注がれると、それは愛の聖いものから聖いものとな
って、そのときはそれは主が怒られ、罰せられるのを恐れる恐れではなくな
り、自分達が善そのものに反したことを行いはしないかとの恐れとなるから
である。それはそのことが良心を苦しめるためである。
人間はその感覚的なものから見、また把握するものは信じるが、その感覚的
なものから見ないし、また把握もしないものは信じないし、かくて受け入れ
はしないといったものであるという理由によっている。

薮田安彦2021-10-16 02:41:16

<エホバが悔いる>

天界の秘義10431

同様に以下の記事に『エホバは悔いられる』と言われているが、事実はエホバ
は決して悔いられはしないのである。なぜならエホバは凡ゆる事柄を永遠から
先見されているからであり、ここから聖言を読んでいるときその文字の意義
以上のことを考えない者らは、かくてかれらに実相は真にいかようなもので
あるかを教えている聖言から発した教義なしに聖言を読む者らは、いかに多
くの過誤に陥るかを認めることができよう。なぜなら教義に従って聖言を読
む者たちは、エホバは慈悲そのもの、善そのものであられ、無限あな慈悲と
無限な善とについて、それは怒りにもえて、やきつくしてしまうとは到底言
われることができないことを知っているからである。それでこの教義からか
れらはそれが人間に示されている外観[現象]に従ってそのように言われてい
ることを知るのである。(怒りと悪とは人間から発し、主から発してはいな
いものの、それらが主に帰せられていることについては、9306番に示さ
れたところを参照されたい。『怒り』は、主について言われているときは、
人間が主から離れ去ることを意味していることについては、5034、
5798、8483、8875番を参照されたい。)

浅井良2021-10-16 02:44:19

<エホバが命じる>

天界の秘義6914[5]
このことがイスラエルの子孫がエジプトから手を空しくして出て行かないこ
と、女がその隣人とその家に宿っている者とに銀の器、金の器、着物を求め、
かくしてエジプト人から掠奪すること(出エジプト3・21,22)により意
味されている事柄である。こうした事柄が表象されなかったかぎり、イスラ
エルの子孫がエジプト人に対しこうした策略を用いることを神的なもの[神]
から決して命じられはしなかったことをたれでも認めることができよう。な
ぜならこうした事はすべて神的なものからは非常に縁遠いからである。しか
しイスラエル民族は全く表象的なものであったため、かれらはそのようなこ
とを為すことを神的なものにより許されたのである。なぜなら他生では悪い
者にはそうしたことが行われたからである。エホバまたは主から命じられた
非常に多くの事柄は内意ではそうしたことが命じられたことを意味しないで、
それらが許されたことを意味していることを知られたい。

又吉イエス2021-10-16 02:47:22

<主もまた外観に応じて話された>

天界の秘義3857
主は聖言の中で人間の把握に順応し、また人間が把握している外観に順応し
て話された。主がそのように話された理由は、かれらが外なる真理を受け入
れ、そのことによって内なる真理へ導き入れられるためであったのである。

天界の秘義3387
真理の外観がおのおのの者にその者の把握に応じられてあたえられており、
主もまたかれらの把握に応じて、かくてかれらに思われたことに応じて答え
られたのである。

クリス・スクワイア2021-10-16 02:50:25

<父の右に座す>

天界の秘義8281
[一]「ああ、エホバよ、あなたの右手は強さにより讃えられます」(出エジプト記
15・6)。
これは主の全能が示されたことを意味していることは以下から明白である、すなわ
ち、「エホバの右手」の意義は全能であり―そのことについては以下を参照―「強
さにより讃えられます」の意義は示されることである、なぜなら神的な力は強さを
もって示され、その強さで讃えられるからである。「エホバの右手」が全能を意味
していることは、聖言の「手」により力が意味され、かくて「右手」により卓越し
た力が意味され、従って「手」または「右手」がエホバについて言われるときは、
それは神的な力を、または全能を意味するのである。(「手」と「右手」は力を意
味していることについては、878,4931〜4937、6292,6947,
7188、7189,7518番を参照、それがエホバについて述べられていると
きは、全能を意味することについては、3387、7518、7673、8050、
8069、8153番を参照)。

サラ・ポールソン2021-10-16 02:53:28

[二]「エホバの右手」は神的な力、または全能を意味していることもまた聖
言の以下の記事から明白である―
 イエスは言われた、いまから後あなたらは人の子が力の右手に座って、天
の雲にのって来るのを見るでしょう。(マタイ26・64、マルコ14・62)

 いまから後人の子は神の力の右手に座りつつあるでしょう(ルカ22・69)

エホバはわたしの主に言われる、わたしがあなたの敵をあなたの足台とする
まで、わたしの右手に座りなさい、あなたはメルキゼデクのさまに従ってと
こしえに祭司である、主はあなたの右手におられて怒りの日に王らを打たれ
た(詩篇110・1,4,5、マタイ22・44)

「右手」は、エホバについて言われているときは、全能を意味していること
を知らない者は、主のこれらの言葉から、主はその御父の右手に座り、地上
の王の右手に座っている者のように統治されるであろうとしか考えることが
できない。しかし内意はこれらの記事の中で「右手に座ること」により意味
されていることを、すなわち、神の全能を教えており、従ってまた「力の右
手に座る」、「神の力の右手に座る」と言われているのである。

[三]全能を持たれるのは主であることは明らかである、なぜならそれは主に
ついて言われ、「ダビデの書」の中の「主」により神的な真理の方面の主が
意味されており、また福音書の中の「人の子」によっても意味されているか
らである、なぜなら神的な真理は神的な善から全能を得ているものであるか
らである。(神的な真理に全能があることについては、6948,8200
番を参照、全般的に力は善から発した真理に属していることについては、3
091、3563、4231、6344、6493番を参照、従って「手」
は真理について述べられていることについては、3091、4931番を参
照し、「人の子」が主から発出している神的真理を意味していることについ
ては、2159、2803、2813、3704番を参照)。

ユニョン(iKON)2021-10-16 02:59:34

聖霊に従い、おのれの言葉を述べよ。